思い出コレクション

懐かしいものとか載せてく。基本頭はお花畑。たまに写真とかも載せる。精神科行ってるガキの日記。 基本もう一人の自分であり自分だけの家族である高橋くんのことについての日記。

2023年06月

自分たちが住んでいるところは時代は1930年代で止まっているが、そうでない場所もある。
また、外から新しいものを持ってくることができる。
家には白黒テレビがあるが、これは60年代で止まってる場所から持ってきた。
テレビをつけると、自分で考えたアニメがやってたり、いろんな番組がやってたりする。
手を近づけるとパチパチする。

最近、髙橋くんがたくましくなってきた。
見守ってきた子供が成長するっていうのは、もちろんうれしいのだが、それと同時に寂しさもある。
体はこれ以上成長できなくても心は少しずつだけど成長していく。
心なしか顔つきも凛々しくなった気がする。

髙橋くんが思い出を吐き出す場所がほしいと言ってるから書かせる。

僕は五人兄弟だった。
まず姉ちゃん。ぼくが四歳のときに十才で病気で死んだらしい。
そのころのぼくは人が死ぬことを知らなくて姉ちゃんが急にいなくなったと思ってさがし回っていたらしい。今思えば悲しいことだ。
次は兄ちゃん。
兄ちゃんはぼくが四歳のときに小学校を卒業して、その次の年はいい中学に入った。ぼくが一年生のときに、ひとりだちしていったと思う。卒業式が終わった後、いっしょに遊んだ思い出がある。楽しかった。
次に、弟。
弟はぼくが二歳くらいのときに生まれたが、すぐに死んでしまった。理由は知らない。
最後に、妹の昭子。
昭子との思い出は、二年生よりあとのことしか覚えていない。
だから、そういう理由があってぼくんちの子ではないのかもしれないって○○の兄ちゃん(主)は言ってる。
ぼくは、覚えていることと覚えていないことがまばらにある。
何かを見たり知ったりすると、それに関連したものを思い出すことがある。
ぼくは、空襲警報が鳴っていて、それで逃げ遅れてしまった。
あたりが火の海になって、ぼくは気づいたら死んでいた。昭子を探している最中だった。
自分のことでせいいっぱいなはずなのに、少しゆだんして家族のことを気にしてしまった。
それが悪かったのかもしれない。
今となってはそれも、誰も悪くないんだと思う。

僕の話なんて迫力に欠けるし何も面白くなんかないよ。僕もう戦争の話はしたくないよ。」と言いながペンをしまっていた。
ここで吐き出したのが最後になるかもしれない。

髙橋くんに、袴のことを聞いた。
ここに来る前、奇跡的に無事だった家?だったか親戚の家だったかから当時気に入ったのを持って彷徨ったらしい。
家族と会うには時間がかかると思って、鞄を必要なものでパンパンにして長い間探し回った。
それで何十年も過ぎて、探し回っているうちにここへ来て、僕と出会ったってことを言ってる。
「あれは死ぬ前に母ちゃんにもらった、形見みたいなもんだ、生きてた自分の体と、母ちゃんの形見だよ。」と言った。
ちょっと着てみてと言ったら、着替えて見せてくれた。
立派なこともあって、髙橋くんの家が結構裕福だったことがうかがえる。
僕と会ってからは、持ってきたことを忘れたみたいだが、今思い出してみたらやっぱり好きみたいで、これからはたまにこっちも着るって言ってた。
そのまま、隣町の服屋へ行った。
髙橋くんの夏服を買ってきた。

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